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[350] 上手くて賢い人が欲しい 投稿者:明竜 投稿日:2014/07/07(Mon) 19:53  

少林寺拳法の大会で双方攻撃乱捕が復活しつつある。
蓋を開けてみれば防具付ポイント制空手の焼き直しのようなもの。
そりゃあそうだろう、技術はルールの中でもっとも有効なものが伸びていき、有効でないものは自然に淘汰される。

「どういう技術を見るか、それを見るためにはどういうルールが良いか」と「どういうルールでいくか、その中で有効な技術は何か」と考えるのでは、たどり着く場所が違う。

他武道のルールをチマチマ微修正していいものができるだろうか。
本質をとらえて、それに合わせた条件を整える・・・略・術・技をはそういうものだと教わったが。

線香花火のような競技が少林寺拳法の本質である、と広まらないことを願う・・・。


[349] 難しいですよね 投稿者:明竜 投稿日:2014/06/01(Sun) 18:06  

私もN先生よりご教示いただきました。
試してみましたが・・・実に難しかった。

その時はそれらしくも動けますが、四六時中それで歩くとなると、ちょっとできませんでした。

もしかしたら言葉通りの意味ではないのではないかと思います。

でもきっと言葉の中に何らかのヒントがあるのではないかとも思っています。


[348] 千鳥足 投稿者:休明 投稿日:2014/06/01(Sun) 14:59  

山口のN先生に聞きました。

千鳥足とは、膝を曲げずに腰骨で上段を打つように運歩することの様です。(たぶんナンバ歩き)

これで自然と足底が均一に着地して片減りしなかったのではないでしょうか。

膝を曲げない構えもこのへんに関係があるかと.....。


[347] 秘密をしりたい。。。 投稿者:明竜 投稿日:2014/06/01(Sun) 12:28  

開祖の歩き方に関しては様々なエピソードが伝わっていますね。

有名なところでは靴が片減りしなかった、とか。
他にも廊下の上を滑るように歩いていたとか、つま先が内に入るような歩き方だった。。。

理由を知りたいですね。


[346] 最近… 投稿者:hshin 投稿日:2014/05/27(Tue) 21:26  

重心位置、足裏への加重度合いや膝の抜き具合が
どうなっているのかが興味のあるところです。
膝が曲がっている、伸びているといった見た目に
自分が惑わされている気がしています・・・


[345] いまさらながらの発見 投稿者:明竜 投稿日:2014/05/24(Sat) 09:55  

そういえば、開祖の写真で膝を曲げて構えているものって見たことないなあ。

立ち方のページで前屈立や後屈立では膝を曲げている写真を見ることができますが、法形ではありません。

開祖だから許される・・・と、先輩達に言われてきましたが、本当にそうでしょうか。本来膝を曲げたらできない動きという可能性は検証しなくていいのだろうか・・・。


[344] うれしい写真 投稿者:明竜 投稿日:2014/05/08(Thu) 23:15  

友人の道院長が専有道場を持った。
せっかく呼んでいただいたが、参加できなかった落成式。

友人が写真を送ってくれた。
広い床、赤い柱に挟まれた祭壇。両脇の盾卍。太鼓・・・。
男をあげるとはこのことか。

いつか私も門下生を連れてご訪問したい^^


[343] 拳理体感の残像 その6  攻撃線と拳の軌跡は同一のものか? 投稿者:明竜 投稿日:2014/05/06(Tue) 10:14  

両手を伸ばして指先を合わせ、両腕と肩のラインで三角形を作り対に構えた拳士を上から撮影した写真とともに「攻撃線」という言葉がよく使われる。
この「攻撃線」という言葉、単なる「拳の軌跡」と同義で使われているが、攻撃線という言葉を使うことに何か意味があるだろうか。拳の軌跡のままではなぜいけなかったのか。攻撃線とは本当にその理解で正しいのだろうか。

結論を言えば攻撃線とは拳の軌跡のことではない。相手の攻撃のスイッチが入る空間のことをいう。この連載の最初に蹴りたい間合について書いた。ほんの数センチ遠いだけで安全圏というあれだ。実はこの攻撃線、蹴りたい間合と密接に関連している。

間合とは一般に距離のことをさす言葉だが、武道の世界においては距離だけでなく角度の意味も含んでいることが多い。例えば自分が蹴る側でイメージしてもらえば分かりやすいが、蹴りたい間合といっても四方八方に同時に存在しているものではないはずだ。蹴りたい間合は自分の前方にのみ存在している。そしてそれもよくよく分析してもらえば分かるが、前方ならどこでも存在しているというものでもなく、狙っている目標物に対してのみ、大きくてもせいぜい直径20センチぐらいの的に対して間合を測っていないだろうか。

その的と自分の重心もしくは体軸とを結んだ線をイメージしてみる。通常距離は遠目からスタートする、そして攻撃をするために攻者はその線を縮めてくる。その長さが攻者のイメージに合った瞬間拳足が出る。
攻撃線の先がそもそも攻撃目標を狙っているなら、距離が縮まる=条件が満たされるまでは攻撃が来ることはない。よってその特定の間合での攻撃線を外せば攻撃が出ることはない。話で聞く武術の達人が使う技術だ。これが攻撃線という言葉を作ってまでこの概念を把握しようとした背景だ。拳の軌跡とは意味も活用範囲の広さも段違いである。

もちろん相手も最初の攻撃線が功を奏さないと分かった瞬間、別の攻撃に気持ちを切り替える。教範で言うところの「・・・決して一定不変のものではない・・・」とはこのことを言っている。しかし人間が意図を切り替え、体勢を変更するにはコンマ数秒を要する。その間に守者は相手を制圧すればよい。制圧方法に関しては出たとこ勝負で考えてる暇はない、あらかじめ検証し、体に刷り込んでおく必要がある。少林寺拳法的に言えばあらかじめ「戦術組成」し「一気動作」で対応するということだ。

「攻撃線」という言葉を唱えたのも、拳理体感のリーダーだった元・本部職員の方だ。この方は攻撃線を上手に活用し相手に手を出させずに制圧する名手だった。ただ、大変とっつきにくい一面をもっており、他の本部職員が技術についてきちんと聞けなかったようだ。結局ご本人が本部を去ったあと、攻撃線という言葉が単なる拳の軌跡として使われるようになった。。。

こういうことはたまにあるようだ。一説には「千鳥足」も意味が変わっているとある先生からお伺いしたことがある。
ちなみに元・本部職員の方は「攻撃線」という言葉を使う前は「切っ先外し」という言い方をしていた。


[342] 拳理体感の残像 その5  攻守立会評価法、「攻守」と言うのはなぜか? 投稿者:明竜 投稿日:2014/03/03(Mon) 06:56  

運用法の特徴のひとつに攻守に分かれて実施するというのがあるが、一部の方から不評のため現在の学生大会では双方攻撃の運用法が採用されたようです。そのことの是々非々を考えるのはまた別の機会に譲るとして、今回はなぜ攻守という概念を入れたのか、入れられたのかということを考えてみたいと思う。

「攻守立会評価法」という練習方法ではご丁寧にも名前の冒頭に「攻守」という言葉がついている。それほどの重要性があるのだろうか。なぜそこまで攻守に分かれることにこだわってきたのだろうか。そもそも攻守に分かれて行う格闘技や武道は珍しいのではないだろうか。

皆さんは疑問に思ったことがないだろうか。守主攻従の少林寺拳法同士で戦ったらそもそも戦いにならないのではないだろうかと。一方は逆小手を掛けようと右手首を突き出す、もう一方は内受突をしようとして相手の上段突を待つ、相手を誘い出方を伺う続ける二人・・・そう、どちらかが先手を仕掛けないと話にならないのが少林寺拳法の試し合いなのである。
かといって双方に許せば、簡単にポイントを取れそうな先手を狙って双方が競いあってしまい、結果として守主攻従のかけらもない少林寺拳法という自己矛盾に陥ってしまう。そこで考えられたのが攻守に分かれて行う乱捕練習だった。

この練習方法、下敷きとなったのはバレーボールだ。バレーボールではボールを持っている時と、持っていない時とで使う戦術や技術が全く違う。拳理体感の元・本部職員は高校か中学でバレーボール部にいたらしい、そしてその経験が攻守に役割を分けての乱捕ということを考えさせたと聞く。防御ができたら初めて攻撃権を持つという構造をバレーボールから少林寺拳法に移植しようとしたのだ。
実際運用法開発の初期段階では守者勝ち抜きの掛り稽古方式で試したこともある。攻者に当身を極められたら守者を交代する。そんなルールだった。このルール実に面白いと思ったのだが、みんな練習の主役である守者を務めたくてレベルの高い攻撃を仕掛けるものだから、よほど上手な守者でないと相手を捌けず、次から次に元立ちが交代してしまい本来狙った練習にはならなかった。

攻守に分かれての運用法はそんな思いや試行錯誤の結果試作品として出てきたものだ。攻守に分かれた格闘技競技などない。さまざまな試行錯誤がまだ必要だろう。ただ原点は何か、本来の方向性はどうだったかだけは見失わないようにしないといけない。
くれぐれも「少林寺拳法の運用法に勝ちたいならばポイント制空手の練習が一番」・・・なんてことにならないよう気をつける必要がある。見ていて面白いからと安易に双方攻撃ルールを採用とバレーボールのルールを玉入れに変えるぐらい大きな影響がでる。全体を見ることが大事だ。それを八方目という。


[341] 拳理体感の残像 その4  攻守立会評価法、なぜ「乱捕」と言わず「立会」というのか? 投稿者:明竜 投稿日:2014/02/03(Mon) 23:31  

運用法のルールで行う練習に攻守立会評価法というのがあった。アイデアマンだった拳理体感の生みの親が考え出したもので、総当りのリーグ表を作り、守者の成否とそのときの極め技をメモする、ある程度のデータが揃えば習熟度を点数化して測ることができる、あとで守者は攻者から攻撃した際の心のうちを聞くことで弱点を早期克服できる・・・という練習方法だ。数値化を行うので一見科学的、また相手の協力があって成り立つ画期的な練習方法に見えた。しかし実際にやってみたところ、手間がかかる割には効果があがらず、結局数ヶ月トライしただけで行わなくなってしまった。

ただ面白いのはこの名前に「立会」という言葉が使われていることだ。なぜ「攻守乱捕評価法」ではなかったのか。そもそも皆さんは「立会」という言葉で何をイメージするだろうか。

少林寺拳法の世界で「乱捕」と言えば多くの人が共通のものをイメージする。数分間のラウンド制、双方距離をとってのフットワーク、タイミングを見てはファインとから一気に乱打戦、審判がとめる、再び開始線に戻ってその繰り返し・・・人によって多少の違いはあるだろう。グローブをつけた日本拳法的なもの、フルコンタクト空手かキック・ボクシングの戦いに近いもの、あるいは現在行われている運用法か防具付空手をイメージする人・・・しかし、数分間の当身の応酬というところは共通ではないだろうか。

ところが拳理体感の元職員は次のように言った。「法形で2分も3分も掛かるものあるか? みんな数秒で終わらないか。我々がやっている少林寺拳法はスポーツではなく破邪顕正の護身術なのだから相手と膠着状態になったらそれは負けじゃないか」「数秒で勝敗が決する相撲の立会いのほうが乱捕と言うよりイメージが近いはずだ」。

言葉がイメージを大きく左右すると言っていた元職員の方は、相撲の瞬間的に技の成否が決まるリズムに着目し、そのリズム感で技の成否を極めるという思いから「立会」という言葉を使うようにしたのだ。関連ネタで言えば「一気動作」という言葉があるが、一気動作とはそういう短い時間内でケリをつけるための重要なコツのひとつである。


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