ネチケットを守って 楽しくコミュニケーションしよう
[ワード検索] [過去ログ] [管理用]
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照先
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
パスワード (記事メンテ用)

[307] 今年は早くなりました 投稿者:明竜 投稿日:2013/08/05(Mon) 23:10  

年に一度の仲間との美術展。
今年はちょっと早めに8月開催です。

モノ好きな方、お暇な方はどうぞ足をお運びください^^

グループ DOMINO 「100/4」

http://www8.plala.or.jp/yutaka-i/domino/2013domino.htm


[306] 覚え書き 投稿者:明竜 投稿日:2013/07/15(Mon) 18:34  

先日友人と150本立会をおこなった。そこで気付いたこと。

数を掛けて見えてくる。理を知ったあと、それを適用する際に必ず調整が必要、その調整のコツは数を掛けないと身に付かない。数十回連続でこなして初めて見えてくるものがある。

肉弾戦の練習は必要。肉弾戦に持ち込もうとする相手やラッシュをかけてくる相手を捌くには普段からそういう練習をしていないとできない。

練習のやり方も重要、使う技術も重要、組む相手も重要。正しい練習方法で行うことはもちろん重要だけど、使う技術も重要。適材適所の技術をつける準備をしてからやらないと意味がない。また、組む相手も重要。仮免許ドライバーにいきなり夜の首都高で追い越しを掛けさせるような相手と組むのは時間の無駄。

乱捕系練習は気付きが多い^^


[305] 無題 投稿者:明竜 投稿日:2013/05/27(Mon) 21:08  

初版の教範には如意伝が少々書かれている。今日パラパラめくっていて新たな発見があった。

如意陣として構えがいくつか載っている。如意受もいくつか載っている。如意攻技がほとんど記載がない。

これが何を意味するのか。

そういえば、開祖の言葉で「棒で叩けば、どんな叩き方をしたって倒れる」というのを読んだことがある。

そして少林寺拳法の特徴に「守主攻従」がある。

この3つを関連させて推測すると、どんな推測ができるか。

法器の基本として攻技が大して重要視されていない。重要なのは構えと受け技・・・というメッセージに見える。
当然、肩回しや袈裟回し、持ち替えなどの威嚇法も重要ではないだろう。


[304] 閃きを求めて 投稿者:明竜 投稿日:2013/05/12(Sun) 10:16  

投げの研究、仲間のAさんとBさんで軸を変えないと上手くいかない。その特異性に目も気も奪われがちだが、見つけたいのは共通性。閃きを求めてただ今修行中^^;


[303] 1パーセントの閃きがなければ、99パーセントの努力は無駄 投稿者:松野 投稿日:2013/05/09(Thu) 23:38  

こんばんは。

ずううううっと、昔に一〜二回書きこんだことがある者です。
ずううううっと昔のことですので、改めて、はじめまして。

明竜さんの「少林寺拳士はお得?」という書きこみを読んで、ひょっとしてこういうことなのでは、と思ったので書きこませていただきます。

エジソンの有名な「天才は1パーセントの閃きと99パーセントの努力(汗と言う表記もある)」という言葉がありますが、
あれは色々と調べていくと、本当は「1パーセントの閃きがなければ、99パーセントの努力は無駄である」と言ったそうで。
それが何故、前者の言葉になったのかというと、当時の記者が前者の言葉に書き換えちゃった、という話もあるそうで、
それらが本当かどうかはさておき、実を言うと私は後者の「努力は無駄」というのが好きだったります。
実を言うと私、努力、忍耐、根性、我慢、とかは大嫌いなので……w

明竜さんが仰る、閃き型(課題解決型、とでも言うのでしょうか)というのは、私は数学や物理で習うベクトルに結び付けられるのかも、と思いました。
バブル時代の頃までは、単純に努力の「量」を増やせば、それでOK、という時代でしたが、
現代はいたずらに「量」を増やすと、良い結果を生み出せないことが多いと思います。
「努力」にはもう一つ側面があって、それは力とベクトル(方向性)を持っているのだと思います。
そういう方向性を無視して、ただ量を増やしても意味がない。
方向性を見出して、正しい力を加えれば、目標に向かって、前進できる。
そして力とベクトルを生み出すにはやはり閃きや発想がカギになるんだな、と読んでて思いました。
同じような態度で、世の中に転がってる何らかの問題に取り組めば、きっと解決できたりするのかな、とも思います。

エジソンの「努力は無駄」という言葉も、ただ量を増やしているだけではダメですよ、ということなんだろうな、と思いますし、
少林寺拳法の技法や思想もそうした……なんて言うんでしょうか、"無駄のない練習"を行えば案外、簡単に技が出来たりするものなんでしょうかね。
まぁ、そうは言っても私は技はじぇんじぇん出来ませんが。

ただ、閃いたものやことって、周りの反応は冷ややかなのは世の常なので、そうした反応や抵抗に屈しないことが一番大事なのでしょうかね。
実際、過去に道院で私が考えた練習法を「こんなのはどうだろう?」とやってみたら、同じように反応は冷ややかでしたし……。


なんかまとまりがないですが、私なりに明竜さんの書き込みをかみ砕いて、飲みこんでみました。
色々と間違ってる、そんなことを言ったつもりはない、ということでしたら、すみません。
また何か面白そうな書き込みがありましたら、顔を出します。

ではでは。


[302] 視座を変えれば・・・ 投稿者:明竜 投稿日:2013/05/06(Mon) 10:16  

好景気、不景気は言葉の定義の問題なので白黒明確にするのは難しいところです。

>そういう両極端ではない中間層の多くが利益を得られる状態が好景気であり・・・

というbluebladeさんの言葉を借りるなら、中間層の多くが景気の恩恵にあずかっているように思えるのです。

バブルと言われた90年代。ケータイ電話はなく電話を掛けるためには公衆電話に並ばなくてはいけませんでした。ネットもなく調べものは辞書、ソーシャル・サイトなんてものもなかったですね。ネットやケータイが無かった当時、同じサービスを享受しようと思えば、もっと莫大なコストが必要でとても現実的ではありません。それが今では安価に普及しています。
ネットやITはそうした生活の表面だけでなく、ビジネスの裏側でも活用され、衣食住の全てに影響しています。

でもポイントはそのあとの文章で、現代を「好景気」と仮定し、20年前の好景気との違いを考えると、こちらも努力の質を変える必要もあり、どう変えるかを考えるうえで、少林寺拳法というのは取り組み方によって脳味噌エクササイズに凄く良い、というくだりです^^


[301] 因と縁 (再投稿) 投稿者:blueblade 投稿日:2013/05/05(Sun) 18:39  

(すみません、前の投稿が変になってしまったので、再投稿します)

本質的なツッコミではないかもしれませんが…

> 今の好景気は万人がウハウハするようなかつて体験してきた好景気とは別の形で、頑張った人達だけが、見返りを得られるというもの。

これはまさに「不景気」の特徴だと思います。
いかなる情勢でも必ず利益を上げる人はいるし、いかなる情勢でも利益を得られない人もいる。そういう両極端ではない中間層の多くが利益を得られる状態が好景気であり、その逆が不景気かと。

つまり現状では、将来に明るい展望が見えつつあるものの、依然として不況を脱していないだけだと思うのです。

---
努力と景気の関係は、因縁論で説明できると思うのです。
本人の努力を「因」とするならば、好景気・不景気という社会情勢は「縁」だと思います。

好景気という良縁の下では「努力は必ず報われる (良因良果)」ことが多いでしょう。しかし不景気という悪縁の下ではこれが成り立たず、「努力しても報われない」「金持ち(これも一種の「良縁」)しか報われない」と感じることが増えます。

しかしこの差はあくまでも「縁」の問題であり、「因」すなわち努力・人の質を否定するものではないと思うのです。

この考えを突き詰めると、人の質という「因」の追求だけではだめで、社会情勢という「縁」の改善も目指さなくてはならないように思います。幸福運動がそれを目指しているかまだよくわかっていませんが、そうであればいいなと思います。



[300] 因と縁 投稿者:blueblade 投稿日:2013/05/05(Sun) 18:37  

本質的なツッコミではないかもしれませんが…

> 今の好景気は万人がウハウハするようなかつて体験してきた好景気とは別の形で、頑張った人達だけが、見返りを得られるというもの。

これはまさに「不景気」の特徴だと思います。
いかなる情勢でも必ず利益を上げる人はいるし、いかなる情勢でも利益を得られない人もいる。そういう両極端ではない中間層の多くが利益を得られる状態が好景気であり、その逆が不景気かと。

つまり現状では、将来に明るい展望が見えつつあるものの、依然として不況を脱していないだけだと思うのです。

---
努力と景気の関係は、因縁論で説明できると思うのです。
本人の努力を「因」とするならば、好景気・不景気という社会情勢は「縁」だと思います。

好景気という良縁の下では「努力は必ず報われる (良因良果)」ことが多いでしょう。しかし不景気という悪縁の下ではこれが成り立たず、「努力しても報われない」「金持ち(これも一種の「良縁」)しか報われない」と感じることが増えます。

しかしこの差はあくまでも「縁」の問題であり、「因」すなわち努力・人の質を否定するものではないと思うのです。

この考えを突き詰めると、人の質という「因」の追求だけではだめで、社会情勢という「縁」の改善も目指さなくてはならないように思います。幸福運動がそれを目指しているかまだよくわかっていませんが、そうであればいいなと思います。


不景気という厳しい情勢の中では、過去の遺産や惰性だけでは成功できません。努力が報われるとは限りませんが、それなしにはチャンスすら得られません。まさに個人個人の生き方が試されます。

逆に好景気のときには、多少のしくじりは取り返せる楽な情勢です。しかしそれに甘んじて暴走すれば、たちまちバブルになって、はじけたときに途轍もない痛みを受けることになります。周りに流されることなく、しっかりと自分の生き方を貫くのは、同調圧力を感じがちな日本人にとっては案外難しいものです。

ですから、好景気・不景気を問わず、個人の生き方の内容が問われることに変わりはないと、今の私は考えています。「人、人、人、すべては人の質にある」ということですね。

でも好景気のときは、適当な生き方でも成功します。そしてそれを「努力が報われた」と安易に錯覚


[299] 少林寺拳士はお得? 投稿者:明竜 投稿日:2013/05/03(Fri) 22:59  

今の日本は不景気かと問われれば、恐らく答えはNoだろう。
だけど本当にそうだろうか。
コンビニに行けばいつでもサンドイッチや弁当を買えるし、オシャレ度を無視すれば機能的な服を安価で買える。都市部には交通機関が張り巡らされ分単位の正確さで電車やバスがやってくる。24時間テレビは着くし、水道の水は飲めるし、停電もほとんどない。

かつての好景気は皆が景気良かったので、そんな好景気を期待してしまうが、今の好景気は万人がウハウハするようなかつて体験してきた好景気とは別の形で、頑張った人達だけが、見返りを得られるというもの。しかも頑張るとは額に汗するような頑張り方ではなく、脳味噌に汗をかくような頑張り方。結果GDPがそこそこ行けばそれなりに全体感としては便利。

額に汗して頑張れば報われる時代では、「この問題の答えは何?」という問いに答えられる人が力を発揮してきたが今はちょっと違ってきた。「問題は何?」という問いに答えられる人が求められる時代だ。

暗記型秀才よりヒラメキ型が必要な時代ということです。
でもって、この「問題は何?」という問いに答えるには少林寺拳法をやってきた方のほうが有利だと思うのです。
コピー演武の達人は論外ですが、どうやったら感動させる演武になるかを突き詰めて考えてきた人、あるいはどうやったら力やスピードに頼らず相手を制することができるかと突き詰めて考えることは、すなわち解決すべき課題は何かを考えなくてはならないからです。

そういう意味で、少林寺拳法は正しく取り組めば脳味噌エクササイズに凄く良いと思うのです。


[298] 無題 投稿者:明竜 投稿日:2013/05/03(Fri) 07:30  

分かりやすくて良いですね^^

開祖の技、探求してもなかなか手が届きません。
だからこそ探求しがいがあるのですが^^;


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36]
処理 記事No 暗証キー
- LightBoard -