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■ ツカサグループの林さん
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■ 借金1000億円からのリベンジ

ヨンヨン、マルマル、ワンワンワン。ツカサ〜のウィークリーマンション♪で有名なつかさグループの専務が少林寺拳士であることを先日初めて知った。

たまたまだが、経済界のパーティーに代理出席した。僕は決してビジネス界の大物ではないが、代打の代打で僕にお鉢が回ってきたのだ。東京湾サンセット・クルーズの船上パーティ形式といった凝ったものだった。配偶者同伴でも良いとのことなので点数稼ぎも兼ねて(^^;)妻に同行してもらった。

パーティ前半のセミナーでは、ツカサグループの川又社長が話をされた。あの例のCMでテレビに出まくっていたメガネの方だ。あいにくこの日はメガネを無くしてしまい、かけてなかったが。。。

知らない人もいるだろうが、つかさグループは経営の危機に陥ってウィークリーマンションの営業権譲渡など、大変な目にあっている。バブルの頃、資産1000億円と言われたつかさグループはバブル崩壊とともに、金融機関の貸し渋り、不動産評価額の目減りで一気に負債1000億円の企業となってしまった。

何度か自殺も考えたらしが、今また復活にむけ虎視眈々と面白いことを考えているようだ。その中心となる「昭和30年村」構想を聞かせてもらった。伊豆に昭和30年代の村を再現するのだそうだ。テーマパーク・ビジネスとして成り立つのだろうかと思ったが、ウィークリーマンションの発展系として捉えているというのを聞いて、もしかしたら上手くまわるかも知れないという気がしてきた。

1時間弱の講演だったが、時間が短すぎる。もっと話を聞きたいと思った。同じテーブルに座った常連さんにいつもこんなに面白い話が聞けるのかと聞いたら「今回は当たりです」と言われた。いつもはまとまりはあるけれどつまらない話が多いそうだ。

■ 忍者ブームの火付け役?

その後の懇親会は食事を楽しみながらとなる。僕の座った丸テーブルにはなぜか一席空きがあったが乾杯の時になって「よろしくお願いします」と言って50歳を過ぎた髪の白い方が座られた。名刺交換をするとツカサグループ専務の林さんだった。

講演前に会場隅で川又社長と話しこんでいた人だ。講演中は窓の外をずうっと眺めていた。その林さん、どう見ても堅気のサラリーマンには見えない。業界人のような胡散臭さが漂っている。愛想良く話しかけるのが胡散臭さに拍車を掛けた。

ショーコスギとも友達で彼を売り出したのは自分だという。なんでもハリウッドの道をショーコスギとドライブしていた時、道端の大きなガンマンの看板を見てショーコスギが「あれがサムライだったらどうだろう」と言ったという。それで林さんが資金をかき集め、(一応)ハリウッド映画をコストの安い海外で作ったそうだ。

しかしこのサムライ映画は滑ってしまったらしい。ショーコスギはその後作った忍者ものでブレイク。その後の忍者ブームや、ケインコスギのデビューにもつながったのだそうだ。忍者ブームを1人で作ったとは思えないが、火付け役の1人ではあったようだ。

僕が林さんに感じた胡散臭さはそんな世界で修羅場をくぐってきた人間の「臭い」だったのかもしれない。

しかし、なんで米国でそんな仕事をしていたのだろう、そしてなんでウィークリーマンションの会社で専務をしているのだろうか。

■ アメリカン・ドリーム

食事をしながら林さんは色々な話をしてくれた。ご本人曰く「頭が悪かったから」米国に単身でいったそうだ。英語もしゃべれない24、5の時の話だ。お金もすぐ底をつき、「やまと」という日本料理屋のドアを叩きなんでもするからと言って、なんとか皿洗いの仕事に着けたという。

洗い場では70歳ぐらいのおばあちゃんも働いていて、「俺がやるから休んでな」とそのおばあちゃんの分まで仕事をしたという。

絵に書いたような話だが、実はこのおばあちゃんがオーナーの母親で、しばらくそのお店で働かせてもらえることになった。ここで多少なりとも経済基盤を作ることができたらしい。

その後は日本から輸入した家具を米国在住の日本人家庭回って売り歩いたりしたという。今から30年も前の話だ、米国で日本の家具はそう出回ってはおらず、入れ食い状態だったという。

その後、少林寺拳法関係者にはなじみの深い名前が出てきた。江崎真澄さんの名前だ。面識があったという。僕は話半分で聞いていたら、米国で少林寺拳法を修行していて、その関係で知り合いになれたと言われた。当時の米国で少林寺拳法という共通属性を持つ日本人同士。「挨拶に来なさい」で始まりその後の交流があっても不思議ではない。

日米の貿易に関する代表をつとめたり、日本の大相撲を初めて米国で興行させたりと林さんは型にはまらぬ活躍をしたようだ。

■ 世界をまたにかけるあらはん達

林さんが少林寺拳法を始めたきっかけも聞いてみた。あるとき米国で真珠湾攻撃の映画を見ていたら、興奮した米国人に囲まれたことがあって、「これは武道でもやらなくては」と叩いた門がカリフォルニアの少林寺拳法の道院だった。その後仕事をしながら10数年修行をされていたらしい。

僕ら夫婦も少林寺拳士であることを伝えると林さんも親近感が覚えてくれたようだ。ビジネスの話や国際外交の話など、いろんな話をしてくれた。僕らは代打参加だったのに正規メンバーの方には申し訳ないと思うほど林さんは僕ら夫婦に向かって話しかけてくれた。ここでも少林寺拳法の結束の固さ、開祖の残した人と人のつながりの仕組みを実感することとなった。

こうなってくると最初感じた胡散臭さはプラスに転じて、修羅場をくぐってきた男の自信の証に見えてくる。

単身米国に乗り込んで、切った張ったで成功をつかみ、日本で商売して成功とどん底を体験。今また社長と二人三脚でリベンジを果たそうと不撓不屈の気概を持っている。

そんな話を聞きながら、以前お会いしたシチズン商事の大歳さんを思い出した。その爆走するような生き方がだぶってみえたのだ。中東でサムライと呼ばれた大歳さんといい、今回お会いした林さんといい、実社会で頑張っているあらはん達を見るとうれしくなる。
僕も負けてはいられない。